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どれほど健康について言われようと、甘いモノには目がないという人は大勢いますよね。人間の生活と切っても切れない砂糖。いつ頃から砂糖はあるのでしょうか。日本の歴史で砂糖が登場するのはいつの時代からなのか、そういえばあまり知られていませんよね。その魅惑的な甘さで人類をとりこにしてきた、砂糖の出現について見ていきましょう。

砂糖が登場したのはいつ?

人類をとりこにする甘さは紀元前からあった

砂糖についての記録でもっとも古いものは、紀元前8000~1500年頃。南太平洋のニューギニア付近の伝承に、サトウキビが出てきます。恐らくサトウキビが自生する気候の国では、その甘味について知られていたのでしょう。紀元前4世紀頃のインドではすでにサトウキビを栽培していた様子が、アレキサンダー大王の遠征記録の中で語られています。サトウキビから砂糖を作る方法についてもインド発祥といわれ、英語の「Sugar」の語源はサンスクリット語の「Sarkara」(サトウキビ)です。現在の砂糖は、インド生まれだったようですね。

古代中国でも砂糖を楽しんでいた?

インドからペルシャ・エジプトなど周辺の国々に砂糖の製法が伝わる一方、5世紀頃には中国でもサトウキビの汁を煮詰めて乾燥させたものが、作られていたといいます。6世紀前半に記された中国最古の農業書「斉民要術」には、サトウキビの栽培方法が伝えられています。当時、もっとも高い砂糖製造技術をもっていたのは、アラビア人でした。ペルシャ、キプロス、モロッコと彼らが征服する先々では、サトウキビを栽培し、砂糖が作られるようになっていきました。

714年にはスペインでもサトウキビの栽培が始まり、ついにヨーロッパ大陸での砂糖製造が開始されました。

砂糖は、世界各国にどのように伝わっていったの?

ヨーロッパ全土に広めたのは十字軍

11世紀になると十字軍の遠征が始まり、それとともに砂糖はヨーロッパ各地に広がっていきます。兵士が遠征先で砂糖を手にいれ、各地に持ちかえったのでしょう。この頃には進んだ中東の技術によって、すでに「白い」砂糖が作られるようになっていました。13世紀、時の中国皇帝フビライハンは、中東の技術者を呼び質の高い砂糖を作らせていた様です。後に書かれたマルコ・ポーロの「東方見聞録」では、中国・杭州の砂糖製造について述べられています。

コロンブスによってアメリカ大陸へ

砂糖がアメリカ大陸へと伝わったのは、15世紀、コロンブスの大航海によるものです。第二回目の航海の際、西アフリカのカナリア諸島のサトウキビを、西インド諸島・ヒスパニオラ島に移植したといわれています。ヨーロッパ諸国は、植民地となった南米やアフリカの国々に大規模なサトウキビ農園を経営し、砂糖の供給を行ないます。

温暖な気候で生育するサトウキビの砂糖が普及する一方で、17世紀にはてん菜(サトウダイコン)がフランスの学者によって発見されます。続く18世紀にはドイツの科学者がてん菜から砂糖を製造する技術を確立し、寒冷地でも栽培可能な砂糖の原料が確保されるようになっていきます。

砂糖は、日本にいつ伝わって来たの?

甘さを運んだ?遣唐使

日本には、中国からさまざまな文化とともに砂糖が入ってきます。砂糖をもたらしたのは、遣唐使。825年に記された「正倉院」献納目録の「種々薬帖」の中に、日本最初の砂糖に関する記述があります。当時は大変貴重なものとされた砂糖が、「薬」として扱われていたことがわかりますね。決して庶民の口に入るものではなかったようです。その後、鎌倉時代末頃からは、ようやく砂糖の輸入が盛んになってきました。16世紀にポルトガル人が種子島に鉄砲とともに、砂糖を使った甘い「南蛮菓子」をもたらしました。カステラやコンペイトウは、その頃から親しまれているのですね。

国産の砂糖は沖縄から開始

日本で初めて砂糖が作られたのは、やはり温暖な気候の琉球(現在の沖縄)からです。17世紀に中国から製法を学び、黒糖の製造が始まりました。当時、沖縄近隣の島々を統括していたのは、薩摩藩。砂糖づくりを奨励し、薩摩藩の大きな収入源としていたようです。その後、四国や九州地方のサトウキビ生育に適した地域でも、栽培は盛んになりました。製法技術も格段に進歩を遂げ、18世紀には極上品の和三盆が生まれます。

てん菜の砂糖製造は、サトウキビよりもかなり遅れ、本格化したのは大正時代からです。すずらんのパッケージでおなじみの砂糖は、北海道で栽培されているてん菜から製造されたもの。事業の開始は明治政府が奨励した開拓によるものでしたが、軌道に乗るまでには時間がかかり、苦難の末にようやく成果が実りました。

私たちの生活になくてはならない砂糖。こんなに長い歴史を経て完成されたかと思うと、甘さが一層しみてくるような気がします。

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