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子どもからお年寄りまで、コーヒーよりもさらに幅広い年代に親しまれている紅茶。紅茶の伝統と言えばイギリスを思い浮かべますが、その歴史とはどのようなものなのでしょうか。授業では中国から海を渡って輸入されたと習いましたよね。なぜイギリスが紅茶の国と言われるようになったのか、アフタヌーンティーなどの習慣についても興味深いものがあります。ここでは白いカップに紅色に香り立つ紅茶の、知られざる歴史を紐といていきましょう。

紅茶はいつごろから登場したのか

中国から渡ったときには緑茶だった?

西欧に初めてアジアの「お茶」がもたらされたのは1610年、オランダの東インド会社によるものでしたが、その当時はまだ緑茶や中国茶のみでした。イギリスがオランダとの戦争に勝ち、中国との貿易に本格的に乗り出した1700年前後から、イギリス国内にもお茶が流通し始めます。その頃、主流となっていたのは半発酵の「武夷岩茶」。お茶の色が濃く、黒っぽいことからブラックティーと呼ばれて人気を博します。その後さらに、ヨーロッパ人の嗜好に合わせた製法が行なわれ、完全発酵の紅茶が誕生したと言われています。

ざっくりとわかる紅茶の歴史年表

緑茶、中国茶、紅茶。元は同種のお茶の木から、発酵の度合いによってバリエーションが広がります。紅茶が普及するまでの道筋を簡単に見ていきましょう。

年代 出来事
350年 中国でお茶の栽培が開始
1498年 ヴァスコ・ダ・ガマインド航路発見
1516年 ポルトガル人がお茶に出会う
1600年 イギリス東インド会社設立
1602年 オランダ東インド会社設立
1610年 オランダ東インド会社よりヨーロッパにお茶がもたらされる
1657年 イギリスのロンドンにて、トーマス・ギャラウェイがお茶の販売をする
1717年 トーマス・トワイニング、「トムの店」ティーハウス開店
1721年 イギリス東インド会社 お茶の輸入の全権を握る
1769年 セイロンがイギリス領に
1813年 イギリス議会が東インド会社の紅茶独占を廃止する
1823年 アッサム原種発見
1877年 イギリスによりインド帝国が作られる
1887年 日本に初めて紅茶が輸入される

16世紀にポルトガル人がお茶と遭遇してから、100年余りをかけて紅茶製造が成され、ヨーロッパに普及しています。イギリスで一般的に紅茶が楽しめるようになったのは17世紀になってからです。長い年月をかけて、紅い色をした紅茶がようやくヨーロッパ文化の仲間入りをすることになったのですね。

イギリスで紅茶が普及した背景

立役者はポルトガルの王女さま?

1657年、イギリス人のトーマス・ギャラウェイはコーヒーハウス「ギャラウェイ」をロンドンに開き、紅茶を初めて売り出しました。当時は「東洋からもたらされた秘薬」といった扱いだったようです。やがて1662年、時の英国王チャールズ2世のもとへ、ポルトガルの王女キャサリンが嫁ぎます。キャサリン妃は当時まだ貴重だったお砂糖を、これまた貴重なお茶に入れて毎日ティータイムを楽しんだそうです。貴族の間で喫茶の習慣が広がったのは、この時から。イギリス東インド会社は、17世紀から19世紀にかけて、お茶の輸入を独占していきます。イギリスには大量のお茶が輸入されるようになり、併せて大英帝国に莫大な利益をもたらしたのです。

優雅なアフタヌーンティーを楽しむ英国人

最初は貴族や文化人のサロンであったコーヒーハウスは、やがて大衆化し、一般の人たちも楽しめる場となりました。併せて食料品店でも紅茶は売られるようになり、家庭にも浸透していきます。有名なアフタヌーンティーの習慣が始まったのは、1840年頃とされています。第7代ベッドフォード公爵の妻であった、アンナ・マリアが、女性の社交の場として設けたのが始まりのようです。またイギリスでは、観劇やオペラ鑑賞は19時頃から始まるため、夕食は21時ごろになります。アフタヌーンティーは食事に準ずるものとして、紅茶とともに軽食を摂る目的でも生活様式に適していたようです。ちなみに今でもよく目にする「きゅうりのサンドイッチ」には、面白い意味合いがあります。ヴィクトリア時代には、新鮮で“栄養価が低い”きゅうりを挟んだサンドイッチが、労働をせず農夫を雇って暮らすセレブを象徴する食べ物として、アフタヌーンティーには欠かせない定番となったとか。超階級社会と言われる、イギリスならではの歴史のお話ですね。

日本に紅茶が伝わったのはいつ?

本格的な輸入は明治以降 でもその前に?

日本で紅茶が輸入された記録は、明治20年(1887年)、イギリスから100kgほど運ばれた記録があります。しかし、実はそれよりずっと以前の明治8年から10年にかけて、紅茶製造の技術を体得するために、中国、インドのダージリン、アッサムなどを命がけで巡った日本人がいたのです。明治時代、文明国の仲間入りを果たした日本では、お茶や生糸を盛んに輸出していました。欧米の紅茶人気に目をつけた政府から、紅茶の研究を言い渡されたのが、静岡の丸子で広大な茶園を経営していた旧幕臣の多田元吉(ただもときち)翁でした。苦心の末に多田翁は紅茶製造の技術を学び、日本に持ち帰ると全国に広めます。輸出用紅茶の生産は昭和初期のピーク時を経て、第二次大戦後の価格競争力の低下とともに下火になります。一方で、イギリスから輸入される紅茶は、上流階級を中心に欧米スタイルへの憧れと相まって広がり、次第に庶民の生活の中にも定着をしていきます。

初めて紅茶を飲んだのは誰?

11月1日が「紅茶の日」と知っている人は、かなり少ないのではないでしょうか。日本紅茶協会によると、「日本人として初めて本格的な紅茶を飲んだ日」から制定されたそうですが、その人物は大黒屋光太夫と言います。1782年(安永7年)の12月、駿河沖で遭難した大黒屋光太夫は7か月後にアリューシャン列島に漂着します。念願が叶い帰国できたのは、10年後の1792年(寛政4年)。帰国前年の1791年(寛政3年)11月1日に、時の皇帝エカチェリーナに謁見し、その際本格的なお茶会に招かれたといわれています。場所がロシアだけに恐らくはサモワールで沸かし、ジャムを入れたロシア式紅茶であった可能性が高いのですが、それでもそんな早い時代に紅茶を味わった日本人がいたかと思うと、何だか楽しいですよね。

なじみ深いお茶が原点でありながら、どこか優雅な雰囲気を持つ紅茶。たまにはのんびりとくつろいで、アフタヌーンティーでも楽しんでみてはいかがでしょうか。

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